この記事は2022年海城祭・ミニオープンキャンパスで配布した部誌に掲載したものを一部修正したものとなっています。部誌PDFはこちら
はじめに
この文章を手にとった皆さん、地学部の展示はお楽しみいただけましたか?ここでは皆さんからはあまり注目されなかったこんな化石にスポットライトを当ててお話ししていきます。
皆さんがご覧になった写真の化石、トウキョウホタテって名前があったと思います。「なんだ今生きているホタテと変わらないじゃん」と思ったかもしれません。しかし、調べてみると実は現代の種とは些か違う面白いところがいくつか見られるのです。そもそもどうして今では北にしか見られないホタテが、関東で見つかっているのでしょうか?今回はこの話をメインにお話ししていきます。
トウキョウホタテの産出状況
展示してあったトウキョウホタテはどのようにして見つかるのでしょうか?東京でトウキョウホタテが見つかるということは、つまりそこは海であったことを示しています。
実際、太古の関東地方は古東京湾と呼ばれる入江であり、図のように周期的な海面の高さの変動が起こっていました。海面が高くなればトウキョウホタテが生息できる環境がより整うので、化石として見つかる頻度が高くなります。ここで覚えておいていただきたいのは、東京都で見つかるトウキョウホタテ全てが同じ時代のものではない、ということです。
方法
まずは資料となる化石を集めることが最優先です。しかし現在の東京都は地層などは厚いコンクリートに閉ざされている訳であって、化石を採集することができる場所は限られています。そこで今回は、日本古生物学の黎明期であった明治時代からコツコツと先人たちが集めてきた資料に頼ってみようと思います。
実際に採集された産地をプロットすると図のようになります。凄いですね。ここからは、上の図をさらに範囲を小分けにして、ホタテ以外の産出する化石を参照していきます。こうすることで、地域ごとに産出する化石に違いが見られた場合、問題の解決の糸口になるかもしれないからです。
考察
赤で囲った大和町・仲宿貝層と徳丸・成増貝層の領域を見てみましょう。見られた化石は、サラガイ、ビノスガイ、エゾ○○など が見られました。どういう化石なのかピンと来ない方が多いかもしれませんが、つまるとこと親潮系(寒流系)の種が多めでした。冷たい環境の貝という訳です。この貝を分析すると、現在の東京湾と大差ない条件で、静かな内湾に生息していたと考えられます。しかしそれとは反対に、南東部に位置する王子貝層(青で囲った部分)は、赤の領域とは対照的に親潮系の化石とトウキョウホタテの産出頻度が圧倒的に少なくなっているのです。これは何を示唆しているのでしょうか?
元々、古東京湾がどこまでが海でどこまでが陸だったかはあやふやなところが多かったのです。図を見てみるとわかるように、かなり大雑把に海岸線が描かれているのが見られます。この図だと東京は全体的に同じような環境だったと考えられます。しかし、これだとどうして内湾である東京で産出する貝に違いがあるのかをうまく説明できませんね。 そこで考えられたのが次の図です。
これは、茨城沿岸に広がるバリアー島を図に追加して、親潮海流が東京の内湾に入って来れないようになった図です。確かに、これを考えるとバリアー島が出現する前に赤のエリアにトウキョウホタテが堆積します、そして、バリアー島が出現した後、つまり寒流が内湾に流入し辛くなった時代に、青の領域で貝が堆積したと考えれば、説明がつきますね。
あとがき
いかがだったでしょうか?皆さんが展示で「あまり映えないなあ」と感じている化石、実は古代の関東地方がどのような状態だったのかを紐解く鍵になっていたのです‼。また、トウキョウホタテは古くから存在が認知されていたこともあり、「東京都の化石」にも認定されております。地味だけど凄いんですよ。あの化石。
参考文献一覧
[1] 「東京都産のトウキョウホタテを探る」 http://www.geog.or.jp/files/club305.pdf